はじめに
私たちはときどき、
本当は「したい」と思っていないことを、
「これは自分がしたいことだ」と思い込んでしまうことがあります。
一見不思議なこの現象には、よくある二つのすれ違いが隠れていました。
「しなくてはいけない」が「したい」に見えてしまう
一つ目は、義務や強い思い込みが、
行動の衝動として立ち上がってくる場合です。
「やらなければならない」
「やらない自分は許されない」
「できないと、取り返しがつかない」
そうした切迫感が強くなると、
その圧迫感そのものが
「”したい”という衝動」のように感じられることがあります。
たとえば、
職場に行けなくなるほど心や体が追い込まれている人が、
「それでも仕事に行きたい」と感じることがあります。
もちろん、すべてがそうだとは限りません。
ですが多くの場合、そこにあるのは
「行きたい」ではなく
「行かなければならない」という、
とても強い信念であることがあります。
義務が、欲求にすり替わってしまう ――
それは珍しいことではないんです。
手段と目的が、入れ替わってしまう
もう一つは、
「手段」と「目的」が混同されてしまうケースです。
本来、仕事は
「お金を得る」「生活を安定させる」「望む人生を送る」
といった目的を叶えるための手段だったはずです。
ところが、いつの間にか
「仕事に行くこと」そのものが
目的に置き換わってしまうことがあります。
すると、本当はつらいのに
「行きたい」と思い込んでしまいます。
そして
「行きたいのに行けない」
「体がついてこない自分がおかしい」
という、強い葛藤が生まれます。
仕事はあくまで手段です。
本来なら、環境を変える、別の形を選ぶ、休む、
そうした選択肢があってもおかしくありません。
それなのに
「どうしても仕事に行きたい」
と考えてしまうと、視野は一気に狭くなってしまいます。
「周りに合わせよう」とすると、すれ違う
もうひとつ、見落とされやすい場面があります。
それは、「周りに合わせよう」とするときです。
受験や就職、流行のアイテムの購入など、
「みんながそうしているから」という理由で選ぶことは、珍しくありません。
けれど、そのとき心の中では、
「そうでなければならない」
「そうでなければ受け入れられない」
という感覚が生まれていることがあります。
すると、その義務感や強迫的な気持ちが、
いつの間にか「自分がしたいこと」にすり替わっていきます。
あるいは、「周りと同じでいる」という”目的”のために、
受験や就職、買い物といった”手段”を選んでいるのに、
その手段そのものが「欲しいもの」「やりたいこと」だと
思い込んでしまうこともあります。
本当は「安心したい」「浮きたくない」「受け入れられたい」
という気持ちが先にあったのかもしれません。
けれど、その土台が見えなくなると、
選択はすべて「自分の望み」に見えてしまいます。
周囲に合わせること自体が悪いわけではありません。
ただ、それが無意識の義務や、目的の取り違えを含んでいるとき、
心の中では小さなすれ違いが積み重なっていきます。
「本当にしたい」を取り戻すための問い
本当の気持ちに近づくためには、
少し立ち止まって、自分に問いかけてみることが役に立ちます。
「どうして、そう思うの?」
これを何回か繰り返すことが、一番効果的で深堀りができます。
でも、「どうして?」答えが上手く見えないときには、
- それが叶ったとき、どんな幸福を感じるのか
- それを「しない」としたら、何が起きると想像しているのか
など、別の方向から問いかけてみることも良いでしょう。
正しい答えを出す必要はありません。
考えがまとまらなくても構いません。
ただ問いを向けるだけで、
「義務」や「思い込み」と
「本当の望み」の輪郭が、少しずつ分かれていきます。
「したい」という感覚が苦しさを伴っているなら、
その「したい」には、別の意味が隠れているかもしれません。
問い直すことは、怠けではありません。
自分の人生を、丁寧に扱おうとする行為です。
ここに灯した言葉を読んで、
もう少し火にあたっていこうと思われたら、
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