―― 目的と手段を、いま一度 ――
心配になるのは、当然のこと
子どもが学校に行けなくなると、
心配になるのは当然です。
朝になるとお腹が痛いと言う。
玄関で足が止まる。
夜になると、明日のことを考えて眠れなくなる。
このままで大丈夫だろうか。
将来困らないだろうか。
親として間違っているのではないか。
そう感じるのは、
それだけ大切に思っているからです。
けれどそのとき、
「どうにかして学校に行かせなくては」
と考えることは、本当に正しいのでしょうか。
少しだけ立ち止まってみましょう。
学校は、何のためにあるのか
学校に行くのは何のためでしょうか。
義務教育だから?
みんなが行くのが当たり前だから?
勉強のため?
どれも間違いではありません。
けれど、その先にあるものは何でしょう。
義務教育だからというなら、
義務教育が終われば十分なはずです。
みんなが行くのが当たり前だからというなら、
自分に合った道を選ぶ余地はなくなってしまいます。
勉強のためというなら、
学ぶ方法は学校以外にもあります。
それでも学校があるのは、
体系化された教育の中で効率よく知識を得たり、
集団生活の中で社会性を身につけたりすることで、
将来の選択肢を広げるためです。
つまり学校は、
生活を支える力を身につけるための「手段」です。
もちろん、学校という環境が合う子もいます。
そこで伸びる子も、たくさんいます。
けれどそれは、あくまで「一つの方法」です。
「手段」が「目的」になっていないか
多くの親御さんが子どもに願っているのは、
「ただ普通に幸せになってほしい」
ということではないでしょうか。
そのために、生活を支える力を身につけてほしい。
その力を育てる環境の一つが、学校です。
つまり本来、
「子どもが幸せになる」ことこそが”目的”であり、
学校は”手段”に過ぎません。
けれどいつの間にか、
「学校に行かせること」そのものが
目的になってはいないでしょうか。
いまのその手段は、合っているか
もし、学校に行くことがあまりに苦痛で、
子どもが強く傷ついているのなら。
その手段は、少なくとも今この段階では、
「幸せになる」という目的に
合っていない可能性もあります。
未来がどう展開するかは、誰にも分かりません。
けれど一つだけ確かなことがあります。
生きる意欲を失わせてまで、
一つの手段にこだわる必要はない、ということです。
目的は、「学校に通うこと」ではなく、
「その子が生きていく力を持ち、幸せに近づくこと」のはずだからです。
いま守りたいのは何か
いま本当に守りたいのは何でしょう。
学校でしょうか。
それとも、子どもの心でしょうか。
答えを急ぐ必要はありません。
ただ、目的と手段を入れ替えないこと。
そこから、
別の選択肢が見えてくるかもしれません。
ここに灯した言葉を読んで、
もう少し火にあたっていこうと思われたら、
こちらへ…

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