過去でも未来でもなく、「今」へ

──「答え」のある場所 ──

はじめに:人は、なぜ苦しいのか

人は、しょっちゅう疲れています。
けれど、その疲れは、必ずしも
「たくさん動いたから」「忙しかったから」
だけではないように見えます。

一日を振り返ってみると、
身体はそれほど酷使していないのに、
なぜかどっと疲れている。
そんな感覚を覚えたことはないでしょうか。

その疲れの多くは、
身体よりも先に「頭」に来ています。

何度も思い出してしまう過去。
答えの出ない未来のこと。
考えても、どうにもならない問い。

気づけば私たちは、
同じ考えを何度もなぞり、
どこにも辿り着かないまま、
思考だけを使い続けています。

こうした「頭の疲れ」は、よく見ていくと、
大きく二つの方向に集約されます。

過去への反芻。
そして、未来への正解探し。

つまり人は、
今ここではない場所に意識を置いたまま、
長い時間を過ごしているのです。


過去と未来は、どちらも幻のようなもの

過去は、もう触れません。
未来は、まだ存在していません。

どちらも、幻のようなものです。
でも、人はその二つに、
最も多くのエネルギーを使ってしまいます。

過去を見直し、積み重ねてきたものを振り返ることに
大きな意味がある場合は、確かにあります。

未来に希望を描くことが、
前に進む力になる場合もあるでしょう。

でも、どちらも、今この瞬間には立てない場所なのです。


思考には「答えを出せる場所」と「出せない場所」がある

思考は、とても強力な道具です。
けれど、万能ではありません。

思考が答えを出せる力を発揮するのは、

  •  検証できる
  • 更新できる
  • 修正が可能

そうした場所だけです。逆に、

  • もう起きてしまったこと
  • まだ起きていないこと
  • 正解が定義できない問い

こうした場所では、
思考は問題解決の答えを出せず、力の浪費になります。

思考を使うべきでない場所に使い続けると、
いつか壊れてしまいます。


「今」とは何か

では、「今」とは何でしょうか?
それは、次のようなものです。

  • 今の身体の状態
  • 今の気持ち
  • 今できる行動
  • 今、大切にしている価値観

未来の予測でもなく、
過去の反芻でもありません。

事実として確認できるものだけが、「今」です。

ここには、思考が答えを出せる余地があります。
そして、行動に変えられる余地があります。


おわりに:人は、今しか生きられない

過去を消す必要はありません。
過去は、すべて「材料」だからです。

未来を決める必要もありません。
未来に、答えはないからです。

今の身体。
今の気持ち。
今できる、ほんの小さな一歩。

自分の「今」に立てているなら、
あなたはもう、答えを持っています。

あなたの中の答えと一緒に、
「今」を生きられたら…

それで、十分なんです。



ここに灯した言葉を読んで、
もう少し火にあたっていこうと思われたら、
こちらへ…

▶︎灯のそばで、ひと休みする

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