── 「認識が世界を作っている」という話 ──
はじめに
以前の記事では、
人生を「映画」にたとえました。
カメラがどこを向いているかで、
同じ出来事でも、まったく違う映画になるという話です。
今回は、その少し裏側。
なぜ「カメラの向き」が変わるだけで、
同じ人生が、まったく違うものに感じられるのか。
「そもそも、人はどうやって世界を見ているのか」
少し長いお話になりますが、そこを見ていきます。
世界は、脳の中で作られている
私たちはつい、
「世界はそこにあって、自分はそれを見ているだけ」
と思いがちです。
でも実際には、
世界そのものを直接見ているわけではありません。
目や耳や皮膚から入ってきた情報を、
脳が整理して、意味づけして、
「こういう世界だ」と再構成したものを見ています。
つまり、
・見えている世界
・感じている現実
これはすべて、認識された世界です。
認識されなかったものは、
存在していても、存在しないのと同じ扱いになります。
「あるのに、ない」世界
たとえば、こんな経験はありませんか。
買ったお菓子を棚にしまって、
そのまま忘れてしまった。
物理的には、確かにそこにある。
でも、あなたの世界では「ない」のと同じ。
逆に、「あの人に嫌なことを言われた」
という記憶が、何度も何度も思い出されてしまう。
出来事は1回です。
でも、あなたの世界では何度も世界に再生され、
「存在」し続けます。
存在の重さは、
量や事実では決まりません。
どれだけ認識されているかで決まるんです。
同じ場所に、違う世界がある
通勤電車を想像してください。
「ぎゅうぎゅうで苦しい時間」という人もいれば、
「考え事に没頭できる時間」という人や、
「音楽や動画を視聴する時間」という人もいます。
電車は同じ。
混雑も同じ。
違うのは、どう認識しているかだけ。
世界は一つでも、体験される世界は無数なんです。
だからこそ、
「認識が変わると、世界が変わる」
という言葉は、比喩ではありません。
体験として、本当に変わるのです。
認識を変える=現実逃避ではない
ここで、よくある誤解があります。
「認識を変えるって、
嫌な現実から目を逸らすことじゃないの?」
違います。
認識を変えるとは、
・見ないふりをすること
・無理にポジティブになること
ではありません。
どこに、どれだけ、意識を向けるかを調整することです。
カメラで言えば、
・引きで撮るのか
・アップで撮るのか
・景色だけ撮るのか
などの選択を、少しずつ取り戻すことです。
世界は救えなくても、自分の世界は変えられる
世界中の不幸をなくすことは、
ほとんど奇跡に近いでしょう。
でも、
「自分が生きている世界」を変えることは、”技術的に可能”
です。
・何に注目するか
・何を繰り返し思い出すか
・何を「今は脇に置く」か
それを調整するだけで、
同じ人生でも、体感は大きく変わります。
そして、
自分の世界を少し楽にできた人が増えれば、
結果として、世界全体も少しずつ変わっていきます。
これは、楽観論ではありません。
単なる構造の話です。
「でも、その”調整”は、実際にどうしたらいいの?」
そんな時に使える、
カメラを自分に向けながら、答えにつながる問いを重ねていく技術もあります。
認識は、才能ではなく技術
認識の調整は、性格の問題ではありません。
・前向きな人だからできる
・強い人だからできる
そういう話でもありません。
カメラワークと同じで、最初は勝手にブレます。
意図しないものを映します。
それでも、
「あ、今そこ映してるな」
と気づけるようになると、
少しずつ戻せるようになります。
それだけで十分です。
おわりに
人は、
「起きている世界」を生きているのではなく、
「自分が認識した世界」を生きています。
だからこそ、
認識を調整するというのは、
現実逃避でも、自己暗示でもありません。
自分の人生のカメラを、
少しだけ自分に戻す技術です。
うまくできなくていい。
戻せない日があっていい。
気づいた瞬間に、
世界はもう、少しだけ変わっています。
ここに灯した言葉を読んで、
もう少し火にあたっていこうと思われたら、
こちらへ…
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