はじめに
幸せになりたいと思っているのに、
いざそれが近づいてくると、なぜか足が止まる。
安心できそうになると、不安になる。
満たされそうになると、自分から距離を取ってしまう。
そんな感覚を、どこかで抱えていないでしょうか。
それは、あなたに何かが足りないからではありません。
もしかすると──
ただ、「幸せになっていい」という許可を、
まだ自分に出せていないだけかもしれません。
幸せになるには「許可」が必要
「能力」よりも「許可」が問題
幸せは、努力して手に入れるものだと思われがちです。
でも実際には、
幸せを感じることそのものは、とても自然な反応です。
それでも感じられないとき、問題になるのは能力ではありません。
多くの場合、そこにあるのは
「まだその資格がない」
「自分が満たされるのはおかしい」
といった、無意識のブレーキです。
なぜ許可できないのか
幸せを拒んでいるつもりはなくても、
結果として遠ざけてしまうことは珍しくありません。
その理由はいくつかあります。
過去の失敗や後悔。
自分への低い評価。
そして、積み重なってきた辛さです。
「こんなに辛かったのに」が、離してくれない
人は、強い苦しさを経験すると、
それを簡単には手放せなくなります。
それは執着というより、
「きちんと扱いたい」という感覚に近いものです。
だから、こんなことが起こります。
少し楽になりかけた瞬間に、違和感が出る。
「こんなに簡単に楽になっていいのか」
「これで楽になったら、あの時間は何だったんだ」
そして、その違和感を打ち消すように、
自分から幸せを遠ざけてしまうのです。
幸せと辛さの関係
「幸せの拒否」ではなく「辛い体験の尊重」
ここで起きているのは、
幸せを拒んでいるというよりも、
自分の辛さを、きちんと尊重しようとしている動きです。
苦しかった時間を、なかったことにしたくない。
耐えてきた自分を、雑に終わらせたくない。
だからこそ、
簡単に楽になることに、ブレーキがかかる。
それは、おかしなことではありません。
むしろ、とても自然で、まっとうな反応です。
幸せになる=「辛さの否定」?
ここで、一つだけはっきりさせておきたいことがあります。
それは、
幸せを感じることは、辛さを否定することではない
ということです。
これまでの苦しさは、
どんなものであっても、確かに存在していたものです。
そしてそれは、
幸せを感じたからといって消えるものではありません。
幸せになっても大丈夫
幸せは「上書き」ではなく「重なり」
辛かった時間も、
逃げたかった気持ちも、
耐えてきた自分も、
そのまま残っていていい。
幸せは、それらを消すものではなく、
その上に、少しずつ重なっていくものです。
許可とは、「並べること」
だから、「幸せになっていい」という許可は、
辛さを手放すことではありません。
辛かった自分もいる。
そして、少し楽になっている自分もいる。
それを、同時に置いていいということです。
「こんなに辛かったのに、もう大丈夫なんておかしい」
ではなく、
「こんなに辛かった。
でも、今は少し楽かもしれない」
そうやって、並べていけばいい。
幸せになっても、大丈夫なんです。
おわりに
もしあなたが、
幸せを感じそうになるたびに、どこかで止まってしまうのなら。
無理にそのブレーキを外そうとしなくて大丈夫です。
そのブレーキは、
あなたがこれまで自分を守ってきた証だからです。
ただ、ひとつだけ覚えておいてください。
あなたは、
辛い思いをしてきた人であると同時に、
幸せを感じていい人でもあります。
どちらか一方ではなく、
その両方を持ったままでいいのです。
ここに灯した言葉を読んで、
もう少し火にあたっていこうと思われたら、
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