── 教師として、まず立ち止まること ──
はじめに
教室に空席がある。
もちろん、さまざまな理由や都合がある。
他にたくさんの、出席してきている子ども達もいる。
けれど、毎朝その席を見るたびに、心がざわつく。
「どうしたら来られるだろう」
「このままで大丈夫だろうか」
そう考えるのは自然なことです。
しかし、ここで一度立ち止まる必要があります。
① 学校は「目的」ではない
学校に通うことは、教育の目的ではありません。
あくまで「手段」です。
教育の目的は、
その子が幸せに生きていくための力を育てること。
さまざまなことを学び、
自分の力と可能性を広げて、
自分の人生を歩めるようになること。
学校に通うというのは、
そのための方法の一つに過ぎません。
でも、問題が起きたとき、
私たちは無意識のうちに、
「手段」と「目的」を取り違えてしまうことがあります。
「学校に来ること」自体が「目的」になっていないか。
いま一度、立ち止まって確かめる必要があります。
大切なのは、
手段を守ることではなく、
本来の目的を見失わないことです。
② 来させようと焦らない
教室に空席があると、
教師として何かできることはないかと考えるのは、
とても自然なことです。
心配だからこそ、
「少し顔を出すだけでいいから、来てみよう」
などと、声をかけたくなることもあるでしょう。
その思い自体は、決して間違いではありません。
けれど、心配する気持ちが強くなりすぎると、
いつのまにか「来させなければ」という
焦りになってしまうことがあります。
焦りは、言葉より先に伝わります。
「来られないこと」が問題視されるほど、
子どもはさらに来にくくなります。
大事なのは、
「来させなければならない」という焦りを手放すこと。
まずは安心の回復です。
安心がなければ、学びもつながりも成立しません。
③ 家族と詳細に情報を共有する
学校に来ない時間、
家庭では多くのことが起きています。
子どもの状態、生活リズム、感情の波。
家庭の不安や葛藤。
想像で判断せず、
まずは丁寧に情報を共有すること。
- 今、家庭ではどんな様子か
- 何が負担になっていそうか
- 学校への不安は何か
そして同時に、学校側の状況も開示する。
協力とは、
「学校の方針に従ってもらうこと」ではありません。
同じ情報を持つことです。
教師もまた、限られた時間と制度の中で動いています。
だからこそ、互いに前提を共有することが欠かせません。
④ 客観的かつ具体的な情報を提供する
ここは極めて重要です。
例えば出席日数が問題になり得る場合、
「このままだと進級できない」
という伝え方は、不安だけを増幅させます。
そうではなく、
- あと何日欠席すると基準に届かなくなるのか
- 特定の曜日の欠席が何回重なるとどうなるのか
- 出席日数が不足した場合に対して、
過去にどのような対応実績があるのか(あるいは、ないのか)
など、常に客観的かつ具体的に。
曖昧さは不安ばかりを生み、行動を選ぶこともできません。
具体性は、行動の選択肢を生みます。
保護者は、事実をもとに判断したいのです。
⑤ 「来させる前」に考えること
実は、学校に来られない子がいるときに
学校側の対応として最も重要なのは、ここです。
「どうしたら学校に来るか」を考える前に、
「来られない子どもに、学校として何ができるか」
を徹底的に検討すること。
- 別室登校の可能性
- 短時間参加
- オンライン接続
- プリントや課題の柔軟な扱い
- 評価方法の調整
制度上の制約はあっても、
小さな調整の余地がある場合は少なくありません。
「来ない子」ではなく、
「来られない状態にある子」。
言葉の置き換えは、
視点の置き換えです。
席が空いているときに
空席は、責任の重さを突きつけてきます。
けれどその席は、「急げ」とは言ってません。
学校は評価権を持つ、強い力のある場所です。
だからこそ、
その力を“圧力”ではなく“支え”に変える責任があります。
登校を目的にしない。
焦らない。
事実を共有する。
できることを探す。
その積み重ねが、
結果として子どもを学校へ近づけることもある。
順番を間違えないこと。
それが、教師にできる最初の支援です。
ここに灯した言葉を読んで、
もう少し火にあたっていこうと思われたら、
こちらへ…
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