「えこひいき」のすゝめ

──「支援」と「不公平」──

はじめに

教室でポイント制などの支援を行うと、
ほぼ確実に出てくる言葉があります。

「〇〇くんだけズルい」
「それって、えこひいきじゃないですか」

あるいは、
そう言われることを恐れて、
最初から支援をためらってしまう大人もいます。

でも、ここではっきり言います。

その「えこひいき」、必要です。

そしてそれは、
不公平でも、ズルでもありません。

これは、特定の子を優遇する話ではなく、
むしろ教室の中にいる他の多くの子を、
より素敵に育てる話です。

「えこひいき」と呼ばれる瞬間に起きていること

支援が「えこひいき」に見えるとき、
何が起きているのでしょうか。

多くの場合、それは、

  • 支援を受けている子どもだけが
    特別な対応を受けているように見える
  • 周囲の子どもからは、
    その理由が分からない

という状況です。

つまり問題は、
支援そのものではなく、見え方にあるんです。

「普通」は、本当に同じか?

ここで、一度立ち止まって考えてみてください。

その子にとって、

  • 教室に座っていること
  • 授業を聞き続けること
  • 周囲と同じ行動を取ること

それは、本当に「普通」でしょうか?

見た目には分からなくても、

集中を保つために
衝動を抑えるために
不安や不快感に耐えるために

人一倍の努力や苦痛が必要な子どもがいます。

だからこそ、支援が必要なのです。

車いすと同じ

もし、こんな場面があったらどうでしょう。

足が不自由な人が、
車いすやエレベーターを使っている。

それを見て、子どもたちは
「ズルい」「えこひいきだ」と言うでしょうか?

あるいは、子どもたちの声を恐れて、
車いすを取り上げるなどということがあるでしょうか?

当然、あり得ないはずです。

なぜなら、私たちは知っているからです。

その人にとって、それが
「”みんなにとって普通”の環境で移動するために、必要なもの」
だということを。

教室での支援も、まったく同じです。

ポイント制や特別な配慮は、
その子が教室で「普通に過ごす」ための
杖や車いすにあたります。

支援は「特別扱い」ではない

支援を、

「特別扱い」
「甘やかし」

と捉えてしまうと、
どうしても後ろめたさが残ります。

でも実際には、

支援とは
同じ地点に立つための調整です。

スタートラインが違うのに、
同じ対応しかしないことの方が、
よほど不公平 ── 悪平等です。

「ズルい」と言われたときの伝え方

もし子どもから、
「〇〇くんだけズルい」と言われたら。

誤魔化す必要はありません。

たとえば、こんなふうに伝えればいいのです。

「君たちが普通にできることを、
 普通にするのが、とても大変な人がいる」

「見た目では分からないけれど、
 〇〇くんは、この教室で過ごすために
 君たちの何倍も力を使っている」

「だから先生は、
 車いすの代わりに、この支援を使っている」

そして最後に、こう付け加えます。

「先生は、みんなにも
そういう“見えない大変さ”に気づいて、
支えてあげられる人になってほしい」

これは「お説教」ではありません。
事実の共有です。

「えこひいき」は、学びの場になる

一見すると不公平に見える支援は、
周囲の子どもたちにとっても、大切な学びになります。

  • 公平とは何か
  • 同じ対応が、同じ結果を生むとは限らないこと
  • 見えない困難を想像する力

これらは、教科書だけでは身につきません。

教室という現場でこそ、
実感を伴って学ばれるものです。

おわりに

支援は、
全員に同じことをするためのものではありません。

一人ひとりが、
教室で「普通に」過ごせるようにするためのものです。

それが結果として
「えこひいき」に見えるなら、
それでいい。

大人が堂々と行う支援は、
子どもたちにとっても、
「世界は理不尽だけど、無関心ではない」
というメッセージになります。

支援を受ける子も、支援を見守る子も、
どちらもこの教室の大切な一員です。

えこひいきは、不公平ではなく、
必要な調整を、必要なところに行っているだけです。


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ここに灯した言葉を読んで、
もう少し火にあたっていこうと思われたら、
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