── 心を「緩める」ということ ──
はじめに
「人を許すよりも、自分を許すほうが難しい」
そう感じたことはありませんか。
誰かを許さなくても、その人が気づくことはほとんどありません。
けれど、自分を許せないままでいると、
心の中では一日中、年中無休で「責める声」が鳴り続けます。
眠っているときでさえ、完全には休めません。
自分を許さない、という行為は、
知らず知らずのうちに心を最も疲れさせる選択のひとつになっています。
自分を許さない状態が長く続くと、
心は「休めない場所」になってしまうのです。
「許す」とは、甘やかすことではない
自分を許すとき、
あなたは「許される側」であると同時に、「許す側」でもあります。
「許す」という言葉の語源は、「緩める」こと。
張りつめた糸を、ふっとゆるめるような行為です。
それは、何かをなかったことにすることでも、
責任を投げ出すことでもありません。
ただ、過剰に張りつづけている心の緊張を、
いったん下ろしてあげること。
誰かを許す行為は、
実は相手のため以上に、自分の負担を軽くします。
自分を許すというのは、
「自分を守るため」の選択なのです。
なぜ、真面目な人ほど自分を許せないのか
真面目で誠実な人ほど、自分を許すのが苦手です。
時間を守る、秩序を守る、正しさを大切にする。
そうした価値観の中で生きてきた人ほど、
「自分に厳しくあること」を当たり前に身につけているからです。
でも、だからこそ、うまくいかなかったとき、
誰よりも先に自分を責めてしまう。
「自分を許せない」と悩んでいるという事実そのものが、
あなたがどれほど誠実で、責任感を持って生きてきたかを示しています。
「責める」よりも、「観察する」
私たちはつい、
「自分を責めれば成長できる」と思ってしまいます。
けれど、テストの点が悪かったとき、
怒ったり責めたりしても、点数は上がりません。
必要なのは、
「どこができて、どこができなかったか」を冷静に見ることです。
観察し、理解し、次に生かす。
それが、本来の成長のプロセスです。
自分を許せない状態とは、
できなかった自分を責め続けて、
学ぶ前に立ち止まってしまっている状態とも言えます。
どうして自分を責めるんですか?
他人が必要なときにちゃんと責めてくれるんだから、いいじゃないですか
(アルベルト・アインシュタイン)
せめて自分自身は、味方でいてもいいのではないでしょうか。
心を緩めるための、ひとつの入り口
まずは、深呼吸をしてみてください。
好きな匂いを、ゆっくり吸い込みます。
香水、コーヒー、洗い立ての布の匂い。
何でも構いません。
深く息を吸うと、身体は自然に緊張モードから休息モードへ切り替わります。
その状態で、心にそっと問いかけてみてください。
- 自分のどこが、そんなに許せないのだろうか
- それは、本当に社会的に許されないほどのことだろうか
多くの場合、それは法律でも道徳でも禁じられていないはずです。
それでも苦しいのは、
自分の中にある理想や価値観が、とても高い位置にあるからです。
もし今日は何もしたくなくても、この記事を読んだだけで十分です。
価値観という「柱」を見直す
「こうでなければならない」という考え方は、
長い時間をかけて築かれた心の柱です。
その柱自体が間違っているわけではありません。
けれど、もし重すぎて自分を押しつぶしているなら、
別の支えを足してもいいのです。
部屋の模様替えのように、
「この柱は残しつつ、別の支えも置く」
そんな調整があってもいい。
価値観を壊さなくても、
心の負担は軽くできます。
自分を許すとは、答えを急がないこと
自分を許すとは、
一度ですべてを受け入れることではありません。
- 本当に許しがたいことなのか
- なぜ、そう思うのか
- それはいつから信じてきたのか
- 他の見方はありえないのか
これらを、答えを急がずに問い続けること。
その過程そのものが、
心の糸を少しずつ緩めていきます。
おわりに
ここに書いたことは、
すぐにできるようになるための話ではありません。
ただ、自分を壊さずに生き続けるための
「前提条件」の話です。
自分を許すことは、怠けることでも、逃げることでもありません。
過剰な緊張をほどき、心に余白を取り戻す行為です。
あなたが誰かに向ける誠実さややさしさを、
ほんの少し、自分にも向けてみてください。
今、深呼吸ができたなら、
それだけで一つ、「緩める」という行動をしています。
そこから、心は静かに軽くなっていきます。
ここに灯した言葉を読んで、
もう少し火にあたっていこうと思われたら、
こちらへ…
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