── 情報の価値は、どこで決まるのか ──
はじめに
このブログを読んでくれているあなたは、きっと
何かを良くしたいと思っていたり、
人の話を聞くことを、大事にしている人だと思います。
日常の中で、
「面白かった」
「勉強になった」
そう感じる話に、出会うこともあるでしょう。
では、その
「面白い」「勉強になった」と感じた話の価値は、
いったい、どこで決まっているのでしょうか。
「話そのものが良かったから」
そう思いたくなるかもしれません。
でも、果たして本当にそうでしょうか?
情報の価値は「受け取る側」で決まる
たとえば、
「今日はちゃんと食事を作りたい」と思っている人にとっては、
下ごしらえや火加減の話は、とても価値があります。
一方で、
「宇宙の未来が知りたい」人にとっては、
同じ話でも、ほとんど意味を持ちません。
どれだけ正しく、役に立つ話でも、
理解できなかったり、
今それどころではない状態なら、
その情報は「価値を持たない」ことがあります。
一方で、「ある人が飼っている猫の好物」など
ほとんどの人にとって意味がない話であっても、
「その人の大ファン」にとっては、
とても価値があるでしょう。
つまり、情報の価値は、
中身だけで決まるものではないんです。
受け取る側の状態や準備があって、
はじめて立ち上がるものなんです。
「受け取る力」は、思っているより難しい
会話を「キャッチボール」に喩えることがあります。
でも、「発信された情報」を受け取るとき、
私たちは一方的にキャッチャーになります。
どれだけ良い球が投げられていても、
速すぎて怖い、と避ける
目が悪くて見えない
よそ見をしている
などの状態では、受け取れません。
しかも
「もう少しキャッチしやすくしてください」などと、
いつも言えるわけではありません。
飛んできたものを見極めて、
受け止めて、
使えそうなら取っておく。
今は無理なら、そっと手放す。
情報を受け取るというのは、
実はとても繊細な作業なんです。
「勉強になった」と感じたなら
もしあなたが、
「なるほど」「勉強になった」
そう感じた瞬間があったなら。
それは、
話が良かっただけではありません。
あなたに、
それを受け取る余裕と力があり、
それをちゃんと使えた、ということです。
疲れている日もあります。
余裕がない日もあります。
どんなに良い話でも、
何も残らない日があって、当然です。
だからこそ、
「受け取れた」瞬間は、
きちんと評価してあげてください。
医者の仕事をしていて思うこと
医者をしていると、
「先生のおかげで」と言われることがあります。
とてもありがたいことです。
でも、いつもこう返します。
「それは、あなた自身と、支えてくれた方のおかげです」
病院へ来る、
困り事を話す、
医者の話や薬を受け取る、
生活指導や服薬の指示を守る、
リハビリを続ける…
全部、本人と支援者がやっています。
医者は、横で見て、
少し声をかけているだけです。
おわりに
もし今、
「少し楽になった」
「前よりマシになった」
そう感じているなら。
それはあなた自身が、
「受け取る力」を使った結果です。
誰かの言葉を、
自分の人生を動かす力にできたのは、
あなたです。
あなたを支える人たちに感謝しつつ、
あなた自身を誇ってください。
人生の主人公は、
他の誰でもなく、
あなたなのですから。
受け取る力と対を成す、
「受け取らない力」はこちら
ここに灯した言葉を読んで、
もう少し火にあたっていこうと思われたら、
こちらへ…
▶︎灯のそばで、ひと休みする

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