〜役割の違い〜
人によって好き嫌いのあるカニみそ
カニみそは、正直言って「クセ」があります。
好きな人は「これがたまらない」と言うし、
苦手な人は一口で顔をしかめるでしょう。
でも、それはおかしなことではありません。
味が濃く、個性がはっきりしている食べ物なら、
好みが分かれるのは当然です。
ところが、これが「自分のこと」になると、
人はこの当たり前を、すっかり忘れてしまうことがあります。
カニみそが、水のようにふるまうことがある
ときどき、人は自分が「カニみそ」であることに気づかないまま、
水のようにふるまおうとしてしまいます。
誰にでも合い、どんな場にも溶け込み、
角が立たず、嫌われない存在に見えるからです。
けれど、どれほど懸命に人に合わせても、
カニみそが水になることはありません。
味の濃さやクセは薄まらず、むしろ無理をするほど際立ってしまいます。
その結果、強く惹かれてくれる人がいる一方で、
どうしても噛み合わない相手も現れてきます。
そのとき人は、「自分はダメな水だ」と自分を責めたり、
あるいは「分かってくれない相手が悪い」と相手を責めたりしがちです。
しかし起きているのは失敗ではなく、
ただ“役割を取り違えている”というだけのことなのです。
水も、カニみそのようにふるまうことがある
一方で、本来は水の役割を持つ人が、
カニみそのようにふるまおうとすることもあります。
強い個性や明確な主張がまぶしく見え、
「自分もああでなければ」と、言葉を尖らせ、
無理に“味”を足そうとしてしまうのです。
本来は多くの人に自然と受け入れられているのに、
それがどこか物足りなく、平凡に感じられてしまう。
けれど、水がどれほど力を込めても、
カニみそになることはできません。
結果として、必要以上に疲れたり、空回りしたり、
「本当の自分はこれじゃない」と自分を嫌いになってしまうことがあります。
それもまた、能力の不足ではなく、
自分の持ち味を見誤っているだけなのです。
結局、役割が違うだけ
カニみそと水は、優劣の関係ではありません。
役割が違うだけです。
水は、つなぐ。
カニみそは、決める。
水は、場を整える。
カニみそは、場の方向を決める。
どちらも必要で、
どちらかにならなければいけない理由はありません。
問題は、自分がどちらなのかを取り違えることです。
だから、自分を知るほうが先
「合わない人がいる」
それは当然のことです。
「離れていく人がいる」
それも仕方のないことです。
自分が水だと思っていると、
去られるたびに理由を探して傷つきます。
自分がカニみそだと分かっていれば、
「ああ、そりゃ合わない人もいるよね」
「クセあるし。濃いし。ま、それが”味”なんだけど」
で終わります。
そして同時に、
「これが好き」と言ってくれる人の言葉も、
ちゃんと信じられるようになります。
あなたの価値は、
万人に好かれることでは測れません。
むしろ、
好みが分かれるところにこそ、
あなたらしさは宿っています。
ここに灯した言葉を読んで、
もう少し火にあたっていこうと思われたら、
こちらへ…
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