「知っている」ということ

── 0と1は、思っている以上に違う ──

はじめに

「正しいことは、もう知っている気がする」
それなのに、できていない自分を見るたび、少し落ち込んでしまう。

そんな感覚を、抱いたことはありませんか。

知っているのにできない。
分かっているのに変われない。
その状態は、とてももどかしく、心を静かに疲れさせます。

「知らない」と「知っている」は、同じ失敗でも違う

何かがうまくいかなかったとき、
私たちはつい「できた/できなかった」で自分を評価してしまいます。

でも、その前に。
とても大きな違いがあります。

それは、
「知らなかった」のか、「知っていた」のか
という違いです。

同じように失敗したとしても、

  • 知らずに失敗した場合
  • 知ったうえで、うまくできなかった場合

この二つは、同じ場所にはありません。

0と1は、限りなく遠い

「0と1の差は、無限に大きい」という考え方があります。
数学の話ですが、実は人生でも、これはよく似ています。

0から1へ移ることが、いちばん大変です。

一度1になってしまえば、
1から2、2から10、10から100は、時間の問題になります。

では、どうやって0と1の壁を越えるのでしょう?

答えは、「知る」ことです。

例えば、野球のルールを「知らない」人は、
決して野球が上手くなることはありません。

一方、ちゃんとルールを「知っている」人は、
たとえ最初はどれだけ下手だったとしても、
自分の理想通りではなかったとしても、
少しずつ上達していきます。

「知っている」というだけで、
すでに最初の関門は越えているのです。

できていない=戻った、ではない

知ったあとに、うまくできない日が続くと、
「やっぱり自分はダメなんだ」と感じてしまうことがあります。

でも、ここで大事なのは、
0に戻ってはいないということです。

知っているという事実は、消えません。

今日は使えなかった。
今日は思い出せなかった。
今日は余裕がなかった。

それでも、「知っている」状態は続いています。

それは、止まっているように見えて、
前提だけが、もう一段変わっている状態です。

「知ってるだけ」は、何もしていないようで違う

「知ってるだけで、何も変わっていない」
そう感じるかもしれません。
「知ってるだけじゃ意味がない。行動しろ」
などと言われてしまうこともあるでしょう。

けれど実際には、

  • 同じ出来事を、少し違う角度で見ている
  • 後から「あれのことか」と気づく余地が生まれている
  • 次に同じ場面が来たとき、思い出せる可能性がある

こうした変化は、
すぐに形にならないだけで、確実に残っています。

芽が出ていないだけで、
種がまかれていないわけではないんです。

おわりに

何かを知ったあと、うまくできなくても、
それは失敗ではありません。

まだ、形になっていないだけです。

「知っている」状態にいること自体が、
すでに一歩目を終えた証拠です。

急がなくていい。
続けられなくてもいい。

ただ、
「もう知っている」という事実だけは、
そのまま持っていてください。



  「知っているのにできない」とき、
👉 その自分をどう呼ぶかで、しんどさは大きく変わります。


👉 「情報を受け取れる」ということが、すでに「力」であるという話



ここに灯した言葉を読んで、
もう少し火にあたっていこうと思われたら、
こちらへ…

▶︎ 灯のそばで、ひと休みする

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