~攻撃を続ける人ほど、実は不安定な場所にいる~
はじめに
「いがぐり理論」や「でべそ理論」で、
攻撃的な言葉への向き合い方についてお話ししました。
今回はもう一歩踏み込み、
攻撃的な相手がいがぐりを投げてくる理由と、
もっと気楽に受け流せる視点についてお話しします。
弱い犬ほどよく吠える、の正体
よく言われる言葉に
「弱い犬ほどよく吠える」というものがあります。
ここで言う「弱い」とは、
能力や価値の話ではありません。
自分を支える余裕がなく、追い詰められている状態
という意味です。
相手を攻撃してやり込めることで
「自分の方が上だ」と思い込まなければ、
自分の存在価値を保てない人がいます。
立場にしがみついて力を誇示したり。
「モラル」や「正しさ」を大義名分にして自分を正当化したり。
中には、自分という存在をそのまま受け止められず、
常に「誰かを鏡にしないと自分を確認できない」状態の人もいます。
いがぐりを投げ続ける行為の多くは、
実は「攻撃」ではなく、必死な自己防衛です。
ひょろひょろの体で、武器や防具に振り回されている
少し想像してみてください。
ここに三人の戦士がいます。
- 体格も鍛錬も十分、場数も踏んだ上級の「騎士」
- 体格はそこそこ、訓練も経験もある中級の「兵士」
- ひょろひょろで訓練も不足した下級の「見習い」
全員が重い鎧を着て、大きな剣を持っています。
この三人の前に、突然犬が飛び出してきたらどうなるでしょうか。
「騎士」は一瞬で状況を見極め、
何もしないか、軽くいなすでしょう。
「兵士」は驚いて剣を構えますが、
犬だと気づけば止められるかもしれません。
ただ、余裕がなければ振り下ろしてしまうこともあります。
「見習い」はパニックになり、
剣を振り回し、周囲を傷つけ、
装備の重さで自分の体勢すら崩してしまいます。
いがぐりを投げ続ける人の精神状態は、
「見習い」であることが多いのです。
これは相手を見下すための比喩ではありません。
未熟な状態で重い武器を振り回している人には、
近づくこと自体が危険な場合がある、という
こちら側の心の準備の話です。
攻撃を受けている方が「下」に見える錯覚
理不尽な攻撃を受け続けると、
人はどうしてもこう錯覚してしまいます。
「攻撃されている自分の方が下なのではないか」
「尊厳を踏みにじられているのではないか」
でも、今の例を思い出してください。
相手の精神状態は、
パニックを起こして剣を振り回している「見習い」です。
一方であなたはどうでしょう。
少なくとも、
今この文章を読んで状況を把握しようとしているあなたは、
むやみに剣を振り回していません。
社会的な地位や能力とは関係なく、
あなたはすでに「中級の兵士」以上の位置にいるのです。
いがぐりの中身を、確認しなくていい場合も多い
多くの場合、見習いが投げるいがぐりの中にある栗は、
たいていこんなものです。
・怖い
・負けたくない
・自分は弱くないと思いたい
・近づかないでほしい
つまり
「自分を守りたい」という必死の足掻きです。
このような場合、
栗を丁寧に取り出して意味を解釈する必要すらありません。
「これは処理しなくていいものだ」
そう判断できるだけで、
あなたの消耗は激減します。
戦士の階級を意識して、攻撃をかわす
どれだけ肩書きが立派でも。
どれだけ声が大きくても。
不要で理不尽な攻撃を続ける相手は、
精神状態としては「下級の見習い」です。
いがぐり理論や、でべそ理論は、
あなたが自分の階級を見失わないための道具です。
攻撃を真に受けないことは、
逃げでも負けでもありません。
それは、
「振り回されない力がついてきた」
というサインです。
もし今、
「下級の見習いから攻撃を受け続けている感覚」に
心当たりがあるなら。
相手の攻撃性の強さではなく、
相手の余裕のなさを見てください。
驚くほど、楽になるかもしれません。
ここに灯した言葉を読んで、
もう少し火にあたっていこうと思われたら、こちらへ…
▶︎ 灯のそばで、ひと休みする

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